2017/10/21

ジュラ系豊浦層群阿内層の生物擾乱泥岩を構成するPhycosiphon cf. incertum 単一相(Phycosiphon found from the Jurassic Ohchi Formation of the Toyora Group, Japan)


豊浦層群は海で堆積した泥や砂,礫,火山灰などからなるジュラ紀の堆積物が固結した地層で,下位から東長野層,西中山層,歌野層,阿内層の順に累重しています。今回は,豊浦層群の最も上部に位置する阿内層のPhycosiphon cf. incertumを含む生物擾乱泥岩を紹介します。

阿内層の生物擾乱泥岩

山口県下関市阿内の林道中尾線沿いの阿内層の生物擾乱泥岩の露頭のサンプルをまず紹介します(下の写真)。露頭は,ほとんどネットで覆われているため気が付きにくいですが、他の層準の黒色泥岩よりも白みがかっているので、生物擾乱の見られる岩石と比較的識別が容易です。

写真_ジュラ紀の堆積岩
Phycosiphon cf. incertum derived from the uppermost part
of the facies number Oa2 * 


* Facies numbers are described in fig. 6 by Kawamura (2010)

この生物擾乱泥岩の層準(Oa2)は上のリンクから論文をダウンロードできますのでFig. 6の柱状図のF(中尾)などを参考にしてください。通山の生物擾乱泥岩のサンプル写真も載っています。
次に、上のサンプル写真よりも上位の層準にみられる生物擾乱泥岩を紹介します。場所は、この生物擾乱泥岩の露頭の右手に見える谷の右端の獣道を北へと森の中をしばらく歩いて行きます。少し迷いやすいのですが左手のほうの谷へは行かずに,まっすぐ峠の一番高い所を鞍部(あんぶ)といいますか,馬の鞍(くら)のような形をした地形の一番低い所を目指して登っていくと,そこにたどりつきます。この鞍部の向こう側の北側斜面に露出しているのが下の露頭です。


阿内層のOa4層準の生物擾乱泥岩の鞍部露頭


この露頭には,木の根っこや表土が岩石の割れ目に入り込んで浮石状になっていますが,浮き石でも周辺の露頭の節理の方向や走向・傾斜などとしっかりそろっていて,転石ではないことがわかります。地山が表土に覆われているところでは,あまり岩のゴツゴツしていない地表付近は通常このような部分が観察されることが多いです。
上の写真の鞍部露頭の生物擾乱泥岩のサンプルが次の写真です。


Phycosiphon cf. incertum (層理面に対して垂直)
derived from the middle part of the facies number Oa4 *


阿内層の下位の歌野層によくみられる様相の岩石です。岩石が黒いため,現地で生痕を確認するのは慣れていないと難しいですが,持って帰って磨いてみるとよくわかります。

Phycosiphon cf. incertum 
この写真の左側は上の写真と同じサンプルを層理面に対して水平に磨いた面


鞍部の表土を遠慮がちに少しだけ掘ってみると,他の場所でも灰色のほか褐色や赤色を帯びたシルト岩など色々な色調に風化した生物擾乱泥岩が出てきます。掘った場所によってPhycosiphonが含まれていない場合もあります。掘ってしまった場合は必ず元の状態に埋め戻しておきましょう。
ここから北へ谷を下っていくと出口付近の東側斜面の少し上のあたりに礫岩(Oa3 層準)の露頭の上に下位のOa2層準の生物擾乱泥岩露頭が露出していますので時間のある方は観察されてみてください。

地面の表土を剥いでまで地質を調べようとする人はあまり見たことがありません。しかし,ここまでしなければ重要な情報の見落としがありがちです。しかし,他の人が探してもその方の器量により露頭が見つからないということで,記載しても無視されたり受け入れてもらえないなどの弊害もありそうですので,科学の再現性、誰でもトレースできるという観点からは非常に厳しいところです。くまなく露頭を探したり,浮き石や尾根上などあまり動いてなさそうな転石などの情報は大切ですが,もちろんネジリ鎌で風化した部分を見やすく削り出したり,鑑識眼も必要になります。しかし地質をやるならそこまでして欲しいです。生物擾乱泥岩は目立たない色調であったり,表土などに隠されていたりと誰もが気が付くというものではないですので、阿内層からPhycosiphonを含む生物擾乱泥岩の記載がなかったのは詳しく調べようとする方がいらっしゃらなかったためなのかもしれません。

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上の写真の2地点などの露頭でみられる生物擾乱泥岩は,阿内層の下位を構成する歌野層のものと区別ができないほどよく似ています。他の地点でももちろん同じような生物擾乱泥岩が挟在します。植物片の含まれる層準などでもPhycosiphonによる生物擾乱が見られることがあります。中尾や通山の林道などで生物擾乱泥岩を挟み植物片を多く含む地層(阿内層)が,かつて高橋英太郎ほか(1965)によって 歌野層とされたのも,菊川町地域などに広く分布する海成歌野層の岩相と区別できない岩相を挟んでいたことによるものと考えられます。しかし現在は,歌野層と阿内層の境界は,海底において重力流から堆積した阿内層の最下部のBathonian期末の礫岩で画されているということが判明しています。つまり,阿内層の下部にも歌野層とよく似た環境で堆積した海成層が存在するということになります。
阿内層における海成層の存在は,一時的な指し込みも十分考えられると説明される方も中にはいらっしゃると思いますが,そこに不整合でも存在しない限り堆積環境の変化は急激なものとはいえないため,堆積相は漸移しながら累重していると考えるのが自然です。ですので植物片が多く含まれる層準は,より浅い環境を示すデルタシステムの地層であると考えるのが妥当だといえるでしょう。高橋ほか(1965)でも阿内層基底の礫岩は,その性状から「付近で部分不整合の現象が行われたことを示す」と明記されています。つまり堆積盆の縁辺で不整合の現象があり、浸食によって生じた砕屑物が深いところで整合に堆積したということをいわれているのです。その堆積盆の環境は,長門構造帯より内陸側の細長い構造盆ですので海成デルタでも湖成デルタでも有り得るのです。
阿内層を,豊西層群に属するものと考えている方も中にはおられますが,豊西層群をくまなく探しても今回紹介したようなPhycosiphonによって擾乱された岩相は認められません。阿内層の基底の礫岩はBathonian期末の海退期の部分不整合の現象によって堆積盆縁辺の堆積物が浸食されて水中に重力流となって堆積したものであってその層厚は厚くてもほんの5m程度,この後に第2次オーダーの1000万年以上のスーパーサイクルをもつ海進がきますので層序がちょうどBathonian期末でとぎれるというのはありえないことです。下位の歌野層の堆積末期に水深がもっと浅ければ陸化してBathonian期の唐桑層群石割峠層(200m)(Sato, 1992, p.197)やTithonian期の清末層の基底層(200-250m)のような厚い礫岩砂岩層が形成されたでしょう。石割峠層も清末層基底も時代が異なりますが第2次オーダーサイクルの海退期に形成された沖積扇状地や河川堆積物とされているものです。これに気が付けば豊西層群説がおかしいことがわかってくると思います。
Bathonian期の後,Oxfordian期(161Ma)から南中国のカタイシア地塊の十杭リフト帯でのリフティングによって付加体群の境界部に衝上断層運動が生じ、パイルナップ構造を形成する地殻変動(ジュラ紀変動)がありますので、この変動による基盤の上昇によって阿内層が海退期の岩相となり淡水化しながら堆積盆地が消滅したと結論付けられます。つまり,層群境界は広域テクトニクスに起因する地殻変動によって区切られていると考えられます。しかし,国内にはユーススタシーによるシーケンス境界で層群として区切られている例もまだありますが,これには反対論文もあります。
海進の時にも浸食面はできますので,礫岩層の形成は海退の時のみとは限りません。例えば,ジュラ系の橋浦層群の基底の浸食面も海進面に相当するもので海域では下位の志津川層群と整合関係となります。後期Aalenian期に海面上昇によってそれまでの堆積場よりも標高の高い別の場所にオーバーラップするように堆積が開始するということです。
豊浦層群阿内層にほぼ相当する部分が豊西層群に属するという根拠自体が,その上下の境界の誤認・誤記載に基づく定義などですでに崩壊してしまっていますので,根拠を挙げたとしても薄弱なものとなっています。
豊西層群を主張する論文には,豊関広域農道(グリーンロード)の道路法面の露頭写真(スケールから幅14m,高さ10mはある)が掲載されていて,その法面では歌野層が大きくえぐられるように浸食され,その上に豊西層群清末層が平行不整合に覆っているかのように図示されています。次の写真は2002年に同じ位置を自ら撮影した写真に,その論文の構造(白い破線)を書き入れています。


豊関広域農道の法面に露出する歌野層(2002年1月20日フィルム撮影)
写真中にかつて記載された豊浦層群と豊西層群清末層の不整合面,
層理面,断層などを白線で示す。

写真の下半分の構造は実際と一致しているのですが,層理面を示す線は,実際の層理面だけでなく法面頂部を覆う段丘礫層とも食い違いが認められます。しかし,Loc. 99は確かにこの位置でここ以外どこにもないのです。論文の不整合法面写真には,法面の背後の植林や前面の植生も写っておらず,送電線が3本だけ写っています。植生はGoogle Earthで、ある程度昔の空中写真が見られるようになっていますのでご確認下さい。

写真_地層
側方からみた問題の歌野層の道路法面(2002年1月20日フィルム撮影) 
雨天のため雨滴が写り込む



写真_道路法面
法面上のスロープと段丘堆積物に法枠が施工された段階の道路法面
(南側からフィルム撮影)

これには2000年代初めに国際誌に清末層産として掲載された化石(この論文にも問題がみつかり報告をしました)が関係しているとみられます。しかし,何よりも以上のような非科学的な行為には賛同できるはずもありません。現状の法面でも吹き付けされていないため法肩の辺りは確認ができないことはないですので疑問に思う方はどうか気をつけて現地を訪れてみられてください。
最後に,真実に限りなく近ければ、あらゆる情報が爆発的にリンクするということを付け加えておきたいと思います。