2018/03/11

本邦のジュラ紀のキカデオイデア類(Jurassic cycadeoids Dictyozamites from the Ohchi Formation of the Toyora Group in southwest Japan)


山口県下関市に分布するジュラ紀の豊浦層群は,現在,下位から東長野層,西中山層,歌野層,阿内層の4つの地層
から構成されます。中生代には,コケ類,シダ類,シダ種子類,ソテツ類,ベネチテス類,イチョウ類,および針葉樹類など現在の日本とはかなり変わった植物相がみられました。未だ文献にも載っていないような奇異な形態の植物化石も出ます。それは,時代が古いからというだけでなく,現在の日本の気候よりも温暖で,中生代に絶滅したタクサが含まれているからです。
今回は,豊浦層群阿内層から産出した絶滅植物キカデオイデア類Dictyozamitesの化石について,いろいろと余談を交えて解説します。



Dictyozamites(ディクティオザマイテス)


Dictyozamites naitoi Kimura et Ohanaの軸付き標本


写真_化石標本
豊浦層群阿内層の下部(Oa4) から産出した羽軸付きのDictyozamites naitoi Kimura et Ohana

Stratigraphic position: the lower part of the Ohchi Formation.
Stratigraphic level: the facies number Oa4 (Middle Callovian: Kawamura, 2017)
Article on the Ohchi Formation (Kawamura, 2010)
The age of the Ohchi Formation was revised by Kawamura (2017)


豊浦層群阿内層においては,軸付きのDictyozamitesの葉の標本はなかなか採取できません。一見,Otozamitesにみえますが,よく見ると網目模様がありますので,保存が良くないとOtozamites cf. klipsteiniiとして同定してしまっているといったこともあるでしょう。

阿内層では,
かつてイングランドのウィールデンから記載されたOtozamites klipsteiniiに似た化石は,阿内層の上部の層準に多く,下部の層準からはKimura and Ohana (1987)によるO. cf.  klipsteiniiのイラストレーションおよび記載がありますが,上部と下部の層準から産する化石は,形態の変異のしかたや葉脈の特徴がかなり異なっており,上部の層準のものはウィールデン産のO. klipsteiniiの改訂と同様にZamites属に属するものと考えられますしかし,この阿内層産とイングランド産のZamitesは全く同じというわけではありません。


Dictyozamites reniformis Oishiの軸付き標本


写真_化石標本
豊浦層群阿内層の下部(Oa4?) から産出した羽軸付きのDictyozamites cf. reniformis Oishi


Stratigraphic position: the lower part of the Ohchi Formation.
Stratigraphic level: the facies number Oa4? (Middle Callovian: Kawamura, 2017)

Dictyozamites cf. reniformisは,転石からの採取ですので正確な層準がわかりませんが,これと似た腎臓形の羽片でも柄が短いことからDictyozamites kawasakiiとして高橋英太郎先生によって報告されています。木村先生はこれをDictyozamites naitoi として一括されていますが,高橋ほかの図版が不鮮明であったためか,標本の1つに似た形状のものがあったためなのかは定かではありません。今回のD. cf. reniformisの標本は,羽片に長さ1㎝近い柄があり,Dictyozamites naitoi とは葉脈の特徴や羽軸へのつき方が異なっていますので別種であることは明らかです。

Dictyozamites naitoi やDictyozamites cf. reniformisに比較される化石は,日本列島のはるか北に位置するロシア極東地域の中期ジュラ紀末の地層からも産出していて,このロシアの化石植物群は,アナニエフカ植物群やアレクセイエフカ植物群と呼ばれています。これら両植物群には,豊浦層群阿内層から産出する阿内植物群と共通する植物化石がいくつか含まれます。
これらの植物群うちモナキノユニットからDictyozamites tateiwaeやそのほかの新種も報告されていますが,木村先生が阿内層のD. tateiwaeをD. naitoiとみなしたように,両者はよく似ていますので混同することもあるかもしれません。

写真_化石標本
Dictyozamites tateiwae Oishiと酷似する阿内層のDictyozamites naitoiの標本


よく見ると上の写真の標本の葉脈はDictyozamites tateiwaeのものとは異なり,中心付近の網目の少ないDictyozamites naitoiのものと一致します。D. naitoiのparatypeの中には,幅の細めの葉身もありますので,羽片の形状は変異の範囲内でしょう。
ロシア極東地域とこれだけ似た化石が阿内層から産出しますので,Dictyozamites が繁茂していた当時はアレクセイエフカ植物群を含む流紋岩質の火山岩層序を示すモナキノユニットを載せた地体群,セルゲイエフカテレーンが,白亜紀初期までは古日本弧と緯度的に近接した位置にあったという可能性を2008年の学会で発表し,2010年の論文にも記載してあります。モナキノユニットは火山フロントの存在する内陸にあった地層だと考えられますので,パンゲアの分裂が始まった時期と符合する約160Ma以降の地殻変動によって,海洋プレートに引きずられて北上し得る古日本弧の外帯側にモナキノユニットが移動したということになります。外帯側で酸性火成活動が起こることは,例外を除いてほぼないといって良いです。後期ジュラ紀に起こったこの変動はナップ構造の形成や変成岩の上昇といったジュラ紀変動として知られています。そのためこの時期は汎世界的な海水準が上昇する一方で堆積盆地の地盤も隆起し続けるといったことが起こり,阿内層の地層の重なりにも変動の記録が残されています。地質学的にもロシア極東地域と同じといって良い色々な岩石が中国地方には分布していて,顕著なナップ構造が形成されていますので信憑性は高いでしょう。これらの詳細は,2016年の研究報告にまとめてあります。


絶滅したキカデオイデア類に関するエピソード

キカデオイデアという学術用語は,ラテン語の音が日本式に訛ったものだと思いますが,英音でサイカディオイディアと読みます。ラテン語の学名を読む時は,日本では通常,ローマ字読みをしたり,ラテン語がドイツ語音と似ているためドイツ語の音を使って学名を読んだります。キカデオイデアのように,実際の発音はチのところをキと書いたり,シカデオイデアと書いてみたりと人によって変化があります。ほかの学名の例ではラテン語音に英音が混じっていたりと,どの言語に則した発音かさえもわからなくなっている表記があふれかえっています。英語が世界の共通語となっている中,おかしな発音をして外国人が聞いても意味がとれないといったこともあると思いますので,最初から英音を使い慣れた方がよいのかもしれません。

キカデオイデア類は,ソテツ類に形態が似ていて,白亜紀末に大部分が絶滅し,漸新世に地球上から消滅したとされる植物で,
まだ被子植物がそれほど進出していない頃に隆盛を誇っていました。6600万年前の巨大隕石の衝突で完全に絶滅したわけではなく,オーストラリア東部付近では生き残っていたということです。オーストラリア東部といえば,ジュラ紀から現存するナンヨウスギ科のウォレミアが生き残っていたことで話題になった地域です。
キカデオイデア類といっても聞き慣れない方も多いのではないかと思います。というのも,キカデオイデア目は,1990年代までは,学界でベネチテス目と呼ばれることが普通であったからです。博物館などでは現在,ベネチテスの仲間とキカデオイデアの仲間というふうに両方が使われていますが,目という分類群の上のカテゴリーとしてキカデオイデア綱がありますのでどちらでも問題はありません。

小さい頃はベネチテス類というと植物化石を図鑑で見たり発掘したときには心臓が高鳴るほどに興味をもつことができた化石で,恐竜とともに絶滅した植物ということで他にはない独特の雰囲気を醸し出している名称としてとても印象深い化石でしたので,なぜ博物館ではベネチテス類という用語をあまり使いたがらないのかと疑問を持って質問してみたことがあります。その理由は,15年くらい前に某市の学芸員さんに伺ったところによると,学校の教員が子どもたちから質問されて,それについて適切に答えて理解させることができないという話があったからだ,とのことでした。その結果,ソテツ類として展示することにしているとのお話でした。
ベネチテス類は,厳密には昔はベネチテス類の1つ上の分類群名をとって,ソテツの仲間としても間違いではなかったのです。当時,ベネチテス類が,ソテツ類であるとは言えなくなってきていて,ソテツ葉類という用語があるので,これを使うのはどうですか?と苦肉の策を提言させていただいた記憶があります。ですが,これではまったく面白味がありません。大人の自己都合により子どもたちの満ちあふれる感性を狭くして奪ってしまっているということも反省すべき点ではないかと思います。しばらくキカデオイデア目が使用されましたが,最近ではまたベネチテス目という用語の使用が学界での主流になりそうです。

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 Above mentioned plant fossils derived from the latest Middle-Late Jurassic Ohchi Formation of the Toyora Group distributed in Shimonoseki City, Yamaguchi Prefecture, Southwest Japan. These fossils of the Ohchi Formation are a endemic species from the Japanese Mesozoic. Specimens attached to the rachis are very rare in the Ohchi Formation. These fossils are the Itoshiro type elements  (formerly Tetori type defined by T. Kimura) in the Ohchi flora (formerly the Utano flora and the Nishinakayama florula by Kimura and Ohana, 1987). The Itoshiro type flora is roughly equivalent to the boreal type in animal fossils.

   The Ohchi Formation, which was formerly assigned to the Utano Formation, yields the abundant plant remains described as the 'Utano flora' (Kimura and Ohana, 1987). 'The Utano flora' from the Ohchi Formation, which was renamed the Ohchi flora, is a mixture of two major palaeofloristic complexes (ie. Ryoseki-type flora and Itoshiro-type flora) present during the Late Jurassic to Early Cretaceous in Japan. In the Ohchi flora, Ryoseki-type taxa predominate, and are represented by Acrostichopteris, Ptilophyllum, Zamites, Nilssonia cf. densinervis, Araucarites (with Brachyphyllum). In addition, Phlebopteris, Cupressinocladus, Parasequoia and Pelourdia appears rarely. Itoshiro-type taxa represented by Dictyozamites and Ginkgoites are not numerous.


    The uppermost member of the Utano Formation in the northern area of Ohchi, Ut, has been dated as a Bathonian age based on Retroceramus utanoensis (Kobayashi), which shows strong similarity to R. kystatymensis Koschelkina of east Siberia (Hirano, 1973). The Ohchi Formation conformably overlies the Utano Formation (Kawamura, 2010), and is unconformably overlain by the Tithonian-Berriasian Kiyosue Formation of the Toyonishi Group.

 The paleofloristic composition of the Ohchi Formation also shows a close relationship to that of the upper Ananyevka flora from the upper part of the Ananyevka Formation (formaly Anan'evka Unit) in the Razdolny River basin of Far-East Russia (Volynets, 1997). The Ananyevka Formation commonly yields abundant plant debris and coal lenses, and the middle part of the Ananyevka Formation yields the marine inoceramids Mityloceramus cf. ussuriensis (Voronetz) and M. aequicostatus (Voronetz), which indicate a Late Aalenian to Callovian age (Volynets, 1997).




Stratigraphy of the Toyora and Toyonishi Groups and correlations of fossil floras.

   The age range of the Alekseevka and the Ananyevka floras are personal views on the basis of Kawamura (2016, 2017).