2015/09/20

関門層群脇野亜層群の礫岩(前期白亜紀):造構運動と秋吉帯との関連性について(Early Cretaceous conglomerates of the Wakino Subgroup in Yamaguchi)


関門層群(かんもんそうぐん)は,山口県から福岡県北部に広く分布する川や湖,扇状地などの陸域でたまった堆積岩や火山岩からなる地層です。関門層群は下部の堆積岩主体の脇野亜層群と,上部の火山岩を起源とする堆積物が主体の下関亜層群に分けられていて,前期白亜紀も終わりに近づくにつれて火山活動が活発になり気候が温暖化してきます。今回は,下関市に分布する関門層群下部の脇野亜層群の礫岩について大陸にくっついていた頃の古日本弧の広域にわたる地殻変動の歴史や秋吉台との関連に注目して解説してみたいと思います。





脇野亜層群の礫岩



写真_岩石
下関市内日下大畑河内にて脇野亜層群の礫岩を撮影


上の写真は,前期白亜紀の関門層群に属する脇野亜層群わきのあそうぐん)の礫岩の露頭です。

誰でも想像がつくと思いますが,礫の部分だけが,風化に対して若干弱かったために雨水などによって浸食され,模様が彫刻されたようにくぼんでみえます。
この礫岩層は,陸域で発生した土石流起源の堆積物で,この脇野亜層群礫岩層の下位の白亜紀より前の時代の海~陸域に堆積したジュラ紀の豊浦層群と後期ジュラ紀末~白亜紀初期の豊西層群からなる基盤岩を覆って広く分布しています。
この脇野亜層群の礫岩層は礫岩層の基盤となる古い岩盤と年代的に離れていますので,この間に何らかの地殻変動が起きたことが考えられます。層群単位で分けられた地層の間の期間には大抵何らかの変動が起こっています。

例えば,ちょうど同じ時期によく知られているテクトニックイベントですが,
白亜紀の初め頃に起こった大規模な左横ずれ断層運動に伴なう地殻変動が挙げられます。これは,古日本弧の基盤を形づくる付加体が海洋プレートの動きに引きずられ,横ずれ運動を起こして長い距離を北上し,古日本弧が比較的短期間のうちに再配列を起こしたというものです。

このとき,内陸にも大規模な断層破砕帯は形成されたことでしょう。この礫岩露頭はこの大規模変動のあとの堆積物ですから,当然その時に破砕されてできた礫も含まれていると思います。この一連の横ずれ断層運動は後期白亜紀までズルズルと華南地塊の大陸縁で続いていたこともわかっています。

この断層運動は一体何をもたらしたのか,色々と想像を巡らしてみると面白いでしょう。


徳仙の滝


写真_案内板
華山登山コースと史跡の案内板


JR山陽本線の小月駅から約13㎞くらい北へ行き,華山(723.3m)へ登る江良川沿いの道路を西へと上がっていくと,右手に徳仙の滝とくせんのたきがあります。




写真_滝
江良川の中流にある徳仙の滝


奈良時代前期の白鳳時代の末のことですが,
西暦705年に徳仙上人(とくせんしょうにん)がこの滝にこもって修行をしていたと云われていて,上段の滝の右側のたもとに,徳仙上人らしい顔が寝ている姿がうかがえるのは,自然にできたものだと思いますので,当時の上人の姿,想念が現世に具現化されたものなのでしょうか。 

この滝周辺の露頭も同じ起源の脇野亜層群の中上部層最下部の礫岩層です

この礫岩層には,山口県美祢市の秋吉台に代表される後期古生代の石灰岩とそれに伴われるように分布するチャート層や砂岩層などの堆積岩が起源と考えられる礫がたくさん含まれています。



写真_岩石
徳仙の滝の露頭(チャートや砂岩,泥岩を多く含む礫岩層)



写真_露頭
徳仙の滝の下に転がっていた石灰岩を含む礫岩



ということは,前期白亜紀当時,滝の東方の地形的な高まりから古生代の礫がもたらされたということです。石灰岩の礫は少し大きめのものが多いです。

秋吉石灰岩あきよしせっかいがん)といえば,国内で2番目に長いといわれる秋芳洞しゅうほうどう)がよく知られています。

夏場に行けば,洞窟の中はクーラーのように涼しく,石灰岩が溶けた石灰水のような匂い,それと,以前オゾン中毒で肺に痙攣の症状が出たことがあるので忘れられない匂いなのですがオゾンが薄まったような匂いなど鍾乳洞独特のいい香りがするのでいいですね。



写真_鍾乳洞
秋吉台の秋芳洞入口


秋芳洞についてはまた機会があればつづってみたいと思います。


石灰岩やチャート層,砂岩層などはどこからきたのか


近年では様々な番組などで取り上げられて,当たり前のようになっていますが,時代背景などご存知でない方もいらっしゃると思いますので簡単に触れてみましょう。

約2億5000万~3
億5000万年前の後期古生代(石炭紀~ペルム紀)に,海洋プレートの上には,赤道付近から長い期間をかけて遠洋の玄武岩質の海山の上に形成されたサンゴ礁の化石である礁性石灰岩その周りないし半遠洋の深海底に堆積したチャート・雑色泥岩,古日本弧の近くの海溝付近では,おもに陸域からもたらされた砂岩や泥岩などが堆積します。

その後,どうなったかというと,これも想像がつくと思います。
現在の中国南東部には,先カンブリア代の大陸地殻の断片を核として構成される華南地塊が分布していて,その北東延長上にも分布していると考えられています。
海洋プレートが大陸の下へと沈み込むのに伴って,プレート上の地層がはぎ取られて,華南地塊の南東縁に沿って,広範囲な帯状(その断面はクサビ状)の地質体ができあがります。
こうして陸側に付加した地質体は,これもグチャグチャになった感じだろうということは感覚的にわかることですが,実際,野外調査をして歩くと,色々な種類の地層のかたまりが集積したような地層の分布が観察されます。

石灰岩やチャート,砂岩など海溝沿いに色々な岩種が寄せ集まってできた地層の束や,これが奥深くまで沈み込んで変成した地質体(変成岩)は,
一般的に付加体と呼ばれていて,日本で後期ペルム紀
華南地塊の大陸縁に付加された弱変成付加体は秋吉帯と呼ばれています。
日本弧と関連が深いのは南中国(華南塊ではなく南中国(揚子)地塊や北中国(中朝)地塊とする意見もありますが,ジルコンの年代特性が飛騨帯や宇奈月帯を除くと,華南地塊の方と関連が強いのです。なぜこれだけ人により主張が異なるかというと,支持する学説に偏った思考で物事を判断してしまうからでしょう。あらゆる分野の情報を総合的に吟味してもっと広い視野に立って真実を追求したいところですが,現実は厳しいです。

秋吉帯あきよしたい)は,北部九州から飛騨山脈あたりまで日本列島とほぼ平行に延びますが,
現在は,地殻変動や浸食などの要因で,切れ切れになって点々と分布しています。
秋吉台周辺に模式的な地層が広く分布することから,このような秋吉帯という名前がつけられたのでしょう。