豊西層群の堆積岩の露岩が,大規模に現れた長大法面露頭について紹介したいと思います。場所は,下関市南部の大字阿内 地内で,伊毛の北方に位置し,豊関広域農道(グリーンロード)の阿内トンネルの南口を抜けたところになります。3つの層単元の境界のみられる大変珍しい法面露頭です。実は,この法面の北に架かる橋は施工中に橋脚が落下し大惨事となった場所でもあります。この谷筋などで定期的に地質調査をしていた頃のことで,新聞を見て驚いたのを思い出しますが,橋の傍らには今も花が供えてあります。
豊関農道沿いの豊西層群の現在の法面露頭の状況(2015/09) |
農道工事で現れた長大法面
豊西層群の清末層・吉母層境界の観察できる長大法面露頭を北東側から撮影(2006/04/22撮影)。写真の右側が北になる。
|
この法面(上の写真)の中だけで,3つの主要な地層の境界がみられた大変珍しい場所ですが,層位的下位(写真の右)から豊西層群の清末層,吉母層,脇野亜層群の順に重なっています。
手前の砂岩泥岩の互層(白と黒色の縞)は見た目からわかると思いますが,この部分が清末層の上部です。
奥の白みがかった部分が吉母層の砂岩層で,特徴的なラミナが発達していて堆積相が推定できました。バリアー島です。
清末層と吉母層の境界は,法面で観察できてもどこか特定し難いくらいに地層の移り変わり方が漸移的にみえました。ということは,堆積相も漸移しているといえるわけです。清末層の上部では,ラグーンや湾頭の岩相も観察され,海がすぐ近くにあったことが伺えます。
この法面の南端の褐色がかった部分が脇野亜層群で,礫岩などがみられました。
走向は,全般的にN80~90°W(ほぼ東西)を示し,北に48~75°傾斜しています。北に傾斜です。
上の法面の写真では右側が北で,最も北側に豊西層群最下位の清末層がみられますので,逆ではないかと思われるでしょう。地層が逆転しているということです。
つまり,地殻変動により南北から押されたような褶曲運動が起こり,地層に背斜構造(上に凸の構造)が形成され,どんどん南北から圧縮されることにより地層の縞が垂直に立つようなことが起きたのです。さらに圧縮が続き,ついには地層の上と下が逆さになってしまったというわけです。
2006年の20万分の1地質図幅「小串」では,あるはずのない場所に褶曲軸と断層が実線で引いてあります。よく検討がなされずに編集されたということになります。
単層内の堆積構造や地層分布の対称性を検討せずに,地層の上下が判別できないまま,地質図に褶曲軸や地質構造的矛盾を解消するための断層を想定して引いたのでしょう。
阿内トンネル南口(2005/11撮影) |
上の写真を撮影した2005年当時は,トンネルが貫通したばかりで,橋も架かっていませんでしたので,豊西層群清末層のトンネルの真っ黒い排石で埋め立てられているのがわかると思います。
なぜ,背斜構造だとわかるのか
今回の法面よりももっと北側に下関市内日下の大畑から高地峠南側を通り,清末の鳥通に抜ける垂直断層がありますが,この断層は褶曲の背斜軸面がずれ動いたものだとわかりました。
この大畑-鳥通断層の南側の付近では層位的下位の豊浦層群阿内層が分布していて,その砂岩泥岩互層が,走向N80-36°Wと走向変化が大きいですが,傾斜は90°±10°を示し,当然,南側が層位的上位になります。
大畑-鳥通断層の北側になると北北西に40°の傾斜を示す阿内層が分布していますが,特徴的な岩相の重なるパターンが,大畑-鳥通断層を挟んで対称的であることから,背斜構造であったことがわかります。
断層を挟んで対称的であることは,岩石の色調や植物化石の種類,鍵層となる凝灰岩-凝灰質のシルト岩の分布などからわかります。
地層が垂直に立っているということは,地層が堆積した後に側方からのかなり大きな圧縮応力を生み出す造構運動があったということがわかります。
長門構造帯よりも北側の山口県西部各地には,東西性の軸をもつ褶曲が分布していますが,この褶曲は白亜紀前期に関門層群が堆積した後に形成されていることが地質図から読み取れます。
ということは,白亜紀前期辺りに広域的な地殻変動が起きたことがわかります。すでにわかっていますが,この変動が何なのか調べてみるのも面白いでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿