1998年から2006年頃まで豊関広域農道(グリーンロード)施工とその近傍の道路整備があり,豊浦層群歌野層・阿内層,豊西層群清末層・吉母層,関門層群脇野亜層群,長府花崗岩といった中生代の地層群・岩体が道路法面やトンネルとして大規模に掘削されました。2002年頃までには法面掘削で中期~後期ジュラ紀の地層である歌野層や阿内層・清末層などから多くの植物化石が産出していますが,法面施工とともに掘削岩塊は間もなく取り除かれ化石産地は失われました。複数の方からの情報では,歌野層からイノセラムスやアンモナイトといった動物化石も産出したとのことでした。
豊関トンネルの北口の道路工事現場を撮影 |
産出化石
豊関農道沿い掘削露頭で歌野層・阿内層・清末層の調査の片手間に採取できた植物化石は,シダ類,シダ種子類,ベテチテス類,ソテツ類,球果類など数十点ほどでした。学名は以下のとおり。
豊浦層群歌野層産(Utano Formation)
林道中尾線と豊関農道の交差点以北の歌野層の 掘削現場の化石産地(2002/1/20フィルム撮影) |
次の写真の下の路面で化石を採取しました。
中尾の歌野層脆弱岩盤の長大法面のアンカー工法(2002/02/17フィルム撮影) |
豊浦層群阿内層産(Ohchi Formation)
高地峠東方の豊関農道施工区間の東側法面 |
阿内高地橋の北側の道路法面 |
阿内高地橋の北の掘削露頭 |
豊西層群清末層産(Kiyosue Formation)
阿内トンネル南口 |
阿内トンネルの南方の清末層と吉母層の法面露頭 |
以上の地層から産出した植物化石を含む岩塊は,大きくても全般的に保存があまり良くないものもあります。掘削露頭以外でも,他に多くの種類を採取しています。いくつかの標本は日本古生物学会や日本地質学会での講演で使用したことがあります。山口県西部地域は,西南日本内帯(中央構造線よりも北側の地帯)において中部地方の飛騨地域周辺とならび,本邦では数少ない前期~後期ジュラ紀,白亜紀初期の多種にわたる動・植物化石を含む地層が広く分布していることで古くから知られています。これらの2つの地域のジュラ系は,緯度的に離れ地理的に孤立して分布し,動物化石や植物化石においては重要な固有種がいくつかみられるので注目されるべき地域といえます。
今回紹介した豊浦層群阿内層・豊西層群清末層産の植物化石は,採取した標本の中には繁殖器官などが含まれ,変わった形態の種類も含まれています。また,清末層には阿内層と特徴がかなり異なった植物化石が含まれていることが理解できると思います。これは白亜紀に入って気候が寒冷化したことによるものです。この事象は,後期ジュラ紀のOxfordian期(160 Ma頃)からパンゲアの分裂が再燃して活発化していた火山活動がジュラ紀末のTithonian期頃から終息し,第2次オーダーのスーパーサイクルの海水準低下がおこり,清末層の200 -250 m前後ある厚い砂岩礫岩層が堆積し始めたことが物語っています。
海水準変動の要因には海嶺の膨張などのテクトニックなものや極地の氷床の形成・融解などあります。火山ガスには炭酸ガスなどの温室効果ガスが含まれ温暖化の原因となると考えられていますので,火山活動が活発な時期は海水準が上昇しますが,テクトノユースタシーの場合もあるということです。後期ジュラ紀は,大西洋の形成などの大陸の分裂で海嶺が活発に活動し,海嶺における海洋底の拡大が盛んで海洋プレートの速度も速くなっていたという見解もありますので,海面上昇には火山ガスと海嶺の膨張の両方の要因が関与しているでしょう。このような全球的な活動が弱まり海水準が低下すると浸食基準面が急激に下がり陸域で激しい浸食が起こるのです。清末層の200-250m前後もある基底層の発達は,第3次オーダーサイクル程度の短期間の海退では考えられないことです。阿内層の基底礫岩がBathonian期末の第2次オーダーの長期サイクルの海進への転換点にあるにも関わらずなぜ5m前後と薄いかというと,堆積場の水深が深く,浸食が堆積盆縁辺の陸域でしか起こらなかったことによると考えられます。高橋ほか(1965)でも,阿内層(かつての植物化石を多産する歌野層の層序)の基底礫岩は「礫をなす頁岩より見て部分不整合の現象が付近で行われたことを示す」と明言してあります。歌野層の堆積末期のBathonian期中には第2次オーダーの長期サイクルの海退があるのですが歌野層中には清末層のような厚い基底層の発達がないことからも,堆積盆地の水深がかなり深かったことがうかがえます。そもそも歌野層の堆積末期に水深がもっと浅ければ,南部北上帯のジュラ系唐桑層群に属するとされるBathonian期の石割峠層(層厚200m)のように陸化して沖積扇状地のような堆積相が出現する(Sato, 1992)でしょう。唐桑層群が下位の唐桑層群と上位の鹿折層群に二分されるとする概念は,例えるならばジュラ系相馬中村層群を山上層の基底で強引に層群単位で二分してしまおうとするようなレベルのものにすぎないのです。というのも,ユースタシーに起因するレベルの海水準変動においては堆積相が陸あるいは海側の堆積環境に漸移しながら上方に累重・変化していくのみで,海退時の場合には浸食は陸域で部分的にしか起こらない(層単位の地層の基底に記載されることがある軽微な不整合というのがこれにあたります)のです。不幸なことに豊浦・豊西層群に関してもすでに述べたように似たような事例がありますが,豊浦・豊西両層群の関係は,馬ヶ谷変動を間に挟む九頭竜層群・石徹白亜層群の関係と同様に,明らかに豊浦層群阿内層の堆積中に開始したナップテクトニクスにより付加体基盤で起こった地殻変動によって区切られているといって良いでしょう。
このように,様々な地質学的事象を考える上で,豊浦・豊西両層群の層序や植物化石は重要な情報を与えてくれています。
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