サカキ(榊󠄀)は活けても枯れにくいこともあり,山口県では神棚や祭壇などに供える「神さんしば」として利用されています。その黒い実は同じモッコク科のヒサカキの実とともにメジロやジョウビタキなどの小鳥が好んで食べます。似た植物と識別がやや難しく,昔ツバキ科に含められたようにツバキやサザンカなどの葉とも見間違われることもあるようです。今回はこの神聖な榊󠄀の木を紹介します。
黒い実をならせたサカキの木(11月中旬) |
サカキ(榊,栄樹)
サカキはモッコク科サカキ属に属する常緑広葉樹で,学名は,Cleyera japonica Thunb.(クレイエラ・ジャポニカ)
英語ではクリィヤラ・ジャポァーニカと発音します。
英名はSakaki。
属名のCleyeraは,江戸時代前期(1680年代)に長崎出島にあったオランダ東インド会社の交易所のオランダ商館長として勤務していたドイツの植物学者・日本研究家のアンドレアス・クライヤーの名前の末尾に「-a」をつけてラテン語名詞化したものです。
サカキの語源は,神社の境内の境界に植えられた木として「境木」に起源があるという説があります。
花の時期のサカキ(6月上旬) |
緑色の蕚片と白色の花弁は5枚ずつあります。
サカキの花(6月上旬) |
実をつけたサカキ(8月下旬) |
サカキの実をついばむメジロ(1月下旬) |
サカキの幹 |
サカキの役割
サカキは,長期間供えていても葉が落ちにくいという利点だけでなく,次の写真のように,猫や鳥といった動物の鈎爪(かぎづめ)のような湾曲して先端が尖っている頂芽があり,この形は神霊がサカキに入りやすいと考えられることから,これが神棚に供える柴として選ばれた理由の1つになるのかもしれません。
日陰で育ったサカキの葉 |
サカキを日陰で育てると良い理由
陽当たりの良い場所では細くなりがちな葉が,日陰では葉が広く大きくなりやすいため,見た目を良くするために日陰で育てるのが良いようです。また,生育場所が半日陰でないと,頂芽やその年に成長した若い葉枝が紫外線から身を守るために赤くなるので良くないといわれています。こうした理由からソーラーパネルの下で育てている方もおられるようです。
物質そのものが神
神棚のサカキは,1日と15日に取りかえるとされていますが,それは見かけの体裁を考えてのことです。サカキの枝自体がご神体であることから,まだ葉の落ちていない枝を取りかえるのはあまりお勧めできません。
というのも,古代から「神即自然」(かみそくしぜん)という言葉があるように,自然そのものが神といえます。神社などの神域にしめ縄や白い紙でできた紙垂(しで)または御幣(ごへい)をかけて祀られている古いご神木はその象徴といえるものです。
ですから,ご神木だけが神ではなく,すべての生命とそれを育む地球そのものが意識体であり神と捉えることができますので,人だけでなくサカキを含めた草木は枯れてしまっても丁重に扱う必要があるというわけです。
何に対して拝んでいる?
サカキは神霊の「依り代」ともされていますが,仮にサカキに憑る霊が存在したとしても良いものではないこともあるでしょう。
神霊には色々な考え方がありますが,地球そのものであったり,高次元界のもので「閻魔大王」であったり個々の住居に存在する「方位神」などであったりしますので,基本的に「近親霊」などの人の霊ではないようです。
ですから,神棚を拝む際は,お願いをするばかりでなく,自然に対して自然の恵みや生かして頂いていることへの感謝と,自然を壊したり汚したりしたことへのお詫びの言葉も必要になるでしょう。
古代から天皇家に伝わる伊勢神宮に奉納してある三種の神器のうち八咫鏡の裏にヘブライ語で「我は在りて有る者」と記してあるとされていますが,神が存在してこそ神の一部である身体をお借りして自我が存在し得るのですから,自然を壊さなように努めることこそ高次元の神様とつながり,真の幸せを呼び寄せることができるということを忘れてはならないのです。
神棚をきれいに掃除してはいけない?
神棚にはお社(やしろ)がありますが,きれにすると罰が当たるという話を聞いたことがあるという方もおられると思います。
これは半分正しいといえるかもしれません。
というのも,神様は自然ではないものを嫌いますので洗剤など匂いのあるものを使うといけないのです。お社の屋根や壁はほこりを掃うのにとどめ,お社の床や神棚の床はきれいな水で洗剤を一切使用していない布で水拭きをするのが良いと思います。神棚のある部屋や屋内,ご自身も当然ですが,不自然な香りがあるといけません。
以上のことからわかるように,サカキ(神さん柴)は,神霊憑りの有無にかかわらずご神体といえるものですので,農薬など自然ではないものを使用しているといけないのです。サカキは生けても枯れにくいことから,自然をできるだけ改変しないようにという意味合いも込められているのでしょう。
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