トクサ(砥草)といえば紙やすりの代用として伝統工芸品などの製作に使用されたり爪を研ぎ金属を磨くこともできます。山口県のトリアス紀~ジュラ紀の地層からはトクサ類の化石が産出します。今回は,下関市の豊浦層群阿内層(Bathonian期末~前期Kimmeridgian期)の中で中期ジュラ紀末~後期ジュラ紀の層準から見つかったカセキトクサの化石について色々なエピソードを交えて解説してみたいと思います。
次の写真の標本はEquisetites sp.の地上茎です。トクサの表皮の表面や細胞壁にはイネ科の植物のように非晶質の含水ケイ酸体(プラントオパール)が多く蓄積されて硬く丈夫なため化石として残りやすい植物ですがあまり多くは産出しません。
この植物化石の産出層準は,豊浦層群阿内層のOa4層準(中期ジュラ紀末頃)。産地は詳しい方なら母岩をみれば察しがつく場所になります。
豊浦層群阿内層から産出したトクサ類Equisetites sp.(97.08.16.採取) |
次の標本では,地下茎のそばに径5㎜ほどのキクの紋章のような断面が孤立して観察されます。このような標本は滅多に見られません。菊の花びらに見える箇所と真ん中の丸い箇所は,生きたトクサでは中空になっています。
豊浦層群阿内層のトクサ類Equisetites sp.の地下茎とその断面(97.08.30.採取) |
トクサの節にある隔壁を節隔盤と呼び,上の写真のものと似ていますが構造的に異なります。
2003年夏に植物化石がご専門だった内藤先生にこの標本を見ていただいた際に,(節で茎が折れた際に)ピーンと節隔盤が出てくると説明していただいたのを思い出します。山口県のトリアス紀の美祢層群では確かにそのような化石が見られます。九大にいらっしゃった内藤先生の恩師,今野圓蔵先生が1962年に美祢層群や阿内層のEquisetitesなどのトクサ類を数多く記載しておられます。
次の標本では地下茎の節の辺りにトクサの塊茎のようなものがあります。しかし,残念ながら節よりもずれたところにあり表面は平滑で稜線が認められないため違う植物の破片が重なっているのにすぎないかもしれませんが,参考のために掲載しておきます。大きさは阿内層の中部~最上部の層準から産出するEquisetites endoiのものよりも少し大きめになります。
豊浦層群阿内層のトクサ類Equisetites sp.の地下茎(96.03.23.採取) |
なお,上の写真の上半部に写っている植物は,Onychiopsis elongataの胞子葉です。
阿内層のEquisetites sp.はまた,今野先生が阿内層の中位層準から記載された遠藤尚氏にちなんだE. endoiとはサイズが異なり,阿内層のOa4層準のみから産出します。山口大の高橋英太郎先生も1973年にE. endoiとは別にEquisetites sp.を下部層準のみからリストに記しておられますので,おそらく今回の化石と同種のものでしょう。
阿内層と植物化石の共通・類似種の多い同時代の地層である後期ジュラ紀Oxfordian期の相馬中村層群栃窪層ですが,阿内層のEquisetites sp.の地上茎と同じサイズのものが,栃窪層からも報告されています。地上茎の径は両層とも5㎜ほどです。
Equisetites endoi(エンドウカセキトクサ)
Equisetites endoiは,1987年に小野の北西から産出した標本を木村先生が記載されていて,今野先生の記載と地上茎の径は一致していますが,今野先生の標本では恐らく地上茎の部位が異なり径1.2㎜の側枝が生じた脱落痕が残っています。胞子嚢穂のついた化石が見つからないため栄養茎か生殖茎かはわかりませんが,生殖茎にも側枝がある種もありますので,E. endoiは現生のトクサのように栄養茎と生殖茎の区別がないタイプだった可能性もあります。E. endoiは,中部層準から上の層準にのみに見られます。
次の写真の標本はEquisetites endoiの地上茎で,阿内層の上半部の層準から地質調査中にたまに見かけていた種です。
この標本の産出層準は,豊浦層群阿内層のOc6層準(後期ジュラ紀:前期Kimmeridgian期)。
この標本は葉がありますが,側枝が生じた脱落痕はみられないので,木村先生が記載されたものと同じ部位でしょう。
上の2つの写真のEquisetites endoiの出た地点からは,1940年に大石先生によってTakaziからとしてSphenopteris goeppertiが報告され,1997年に木村先生がこれをSphenopteris(Ruffordia)ex gr. goeppertiに改めており,この産地が1987年の日本の地質7の中国地方の44ページに掲載された地質図において豊西層群の分布域になることもあって、この時に木村先生もTakaziの産地の所属(豊浦層群か清末層か)がはっきりしないと指摘しておられたところになります。Ruffordiaはこの下の層準には出ないため,中国側のRuffordia-Onychiopsis群集が認められる時代の下限とちょうど符合していますので,この年代レンジが正しいとすれば同定も確かだといえるかもしれません。胞子嚢がついていなければCladophlebisと同様に専門家であっても確定は難しいところでしょう。
古生物・生層序学がご専門だった松本達郎先生は,1949年に豊西層群を提唱され,1956年に『Jurassic Geology of the World』の中ですでに豊浦層群上部の含植物化石層準,すなわち現在の阿内層を後期Bathonian期~Oxfordian期末と推定されていたのですが,論文の査読の際にお世話になった平野弘道先生が歌野層の上限年代をイノセラムス科のRetroceramusの化石からBathonian期と推定して以来,この年代が豊浦層群の上限の年代としてしばらく用いられることとなりました。植物化石がご専門の木村先生も悩んでおられたと思いますが,地質・古生物どちらにも精通しておられた松本先生は以上の年代観を早くから描いておられたのでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿