今回は,今から10年以上前に豊西層群清末層のジュラ紀末期の層準から採取したニルソニア(Nilssonia)の化石を紹介します。ニルソニア属は,ご存知のように地学の教科書にも掲載されるような中生代の主要な植物化石です。好熱性ソテツ類のNilssonia ex gr. schaumburgensisにまつわる清末層の堆積した頃の気候変動の話やこれとパンゲアの分裂との関係などについて余談を交えて解説してみたいと思います。
豊西層群清末層下部から採取したソテツ目に属するNilssonia ex gr. schaumburgensis(2006/10/24採取) |
Nilssonia ex gr. schaumburgensis
この化石はソテツ類に属する葉身の部分の植物化石で,学名は,Nilssonia ex gr. schaumburgensis Dunker (Nathorst),読み方はニルソニア・シャンバージェンシス。和名は,シャンブルクニルセンソテツ。
この化石標本の産出層準
産地は,高地峠(たかぢだお)の豊西層群清末層基底部の上部の層準になります。山口県では,峠を「たお」と読むことが多いのですが県外の方は知らないことが多いです。豊関農道には高地峠を一望できる阿内高地橋が架かっているのをご存知の方もいらっしゃると思いますが,橋の名盤には「おうちたかちはし」と書いてありますが,これは間違いで,地元の方はこの辺りを昔から「たかぢ」と呼んでいます。昭和初期に大石三郎先生がこの地を訪れて植物化石の論文を書かれていますが,これにもTakajiまたはTakaziと記されています。
どうして高地という地名が残っているのか昔,色々と調べて考察してみたことがあるのですが,高地峠の鞍部の北側に千把焚山(せんばたきやま,382.7m)またの名を雨ごい山と称される山があります。高地山ともいわれますが,これは後から付けられた通称でしょう。千把焚というのは農耕儀礼の1つの雨乞いの儀式のことで,これは一般的に山の上(高地)で火をたくというもの(日本民俗学概論参照)です。千把というのは千把扱き(せんばこき)の千把と同じで,刈り取った稲穂のことでしょう。高地峠の辺りは古来より神聖な場所で,平安時代に弘法大師空海によって祀られたといわれる立石観音(唐から帰国した西暦806年から4年の間に祀られた可能性がある)もあります。昔から高地峠の清末側には火葬場もあったと聞いています。高地の地名の由来は雨乞いの儀式にあるといえるでしょう。
千把焚山には清末層を整合に覆う吉母層の石英質砂岩が分布し,北へ向かって,あんめいし山,寺山,熊山(375m三角点)の山腹へと帯状に分布しています。阿内-菊川地域では吉母層の上部層を欠いていますので,この上位の礫岩は脇野亜層群の堆積物になります。たまにこの礫岩の巨大転石が吉母層の分布域まで移動して鎮座していますので見間違えないよう注意が必要です。
清末層の基底部は,Matsumoto(1949, 1954)によって定義され図示された基底部になりますので,阿内層の基底部ではありません。豊浦層群阿内層の基底礫岩はBathonian期末の全球的な海水準変動(ユースタシー)に起因して部分不整合の現象が豊浦層群の堆積盆地縁辺で起こり、そこで浸食された下位層の砕屑物が水中で重力流となって堆積したものです。豊浦層群や豊西層群といった層群で分割されるようなレベルの堆積の時間間隙をもたらすには広域的なナップ構造の形成(後で説明します)や海嶺(浮揚性海洋プレート)の沈み込みといった広域的な地殻変動が関与していることを覚えておきましょう。ユースタシー(地殻変動ではなく海面そのものの変動)のうち,海面の低下によっても不整合は形成されますが、それは部分的なものであって、大きな地殻変動のない安定した地域では堆積は継続していきます。たとえば、海であったところで海面が下がっていけば沖合からプロデルタ、デルタ、河川といったようにそこの堆積場における堆積相が浅い環境のものに移り変わっていくのみですので堆積間隙がもしあったとしても無視できる程度のものになります。こうしたことをご存知でない方も結構多くいらっしゃるようですが、ごく基本的なことです。
本題にもどりますが、豊西層群清末層の基底部は厚い砂岩・礫岩層からなり,わずかに挟在する薄い黒色泥岩から植物化石を産することがあります。
清末層の堆積した頃の気候
豊西層群の時期よりもかなり温暖な気候下で堆積した下位の豊浦層群阿内層からも同種のNilssonia ex gr. schaumburgensisが多産します。地質調査の折にかなり調べましたが,本種は白亜紀の初め頃に堆積した清末層の主部からはまだ見たことがありません。というのも,N. ex gr. schaumburgensisは,亜熱帯から南の乾燥した気候を好む植物と考えられており,清末層の主部が堆積した白亜紀の初め頃の気候は,ジュラ紀末期よりも比較的冷涼な気候になるからでしょう。
では,なぜ後期ジュラ紀に気候が温暖化したのでしょうか。これには,地球史上における重大なイベントが関係しています。阿内層が堆積している真っただ中のOxfordian期中頃(約160 Ma)に,超大陸パンゲアの分裂が再開したのは地学を勉強された方であれば理解できると思います。現在の海洋地殻に記録された地磁気異常の縞模様は大西洋の大陸縁付近で150 Ma,西太平洋の日本近海で163 Maくらいまで遡ることができます。現存する大西洋や太平洋の海底はほぼその時からできはじめたということです。パンゲアの分裂に伴ってちょうどこの頃の163~150 Maには古日本弧とくっついていた中国の南中国地塊(カタイシア地塊)でも大陸を動かすようなリフティング(海溝とほぼ平行な拡大軸が存在した)が起こるとともに,海洋プレートの沈み込み速度も速くなり,南・北中国地塊の縫合帯や古日本弧にも非常に大きな地殻変動(ジュラ紀変動:ナップテクトニクスによる弧地殻の縮退)を与えています(河村,2016)。リフティングなどが原動力となって生じた衝上断層の運動で付加体が平行に重なってパイルナップ構造ができますが,この時に地殻が厚くなる分,地層の堆積基盤の上昇が起きることは想像できると思います。この変動の期間に豊浦層群と豊西層群の間の不整合(堆積間隙)が形成されたといえます。
後期ジュラ紀は酸性火成活動が非常に活発な時期で,阿内層の堆積盆にも161 Ma以降酸性火山灰が多く降り積もっています。火成活動が活発化すると火山ガス(温室効果ガスのCO2など)が大量に放出されてまず地球温暖化の原因になりますが,これが汎世界的に起きていたということです。後期ジュラ紀は現在よりもかなり温暖であったといわれています。これはパンゲアの分裂によるテクトニックな要因だけでなく火山活動による温室効果ガスの相乗効果も加わることで1000万年以上の周期をもつ第2次オーダーサイクルの海面上昇が生み出され、後期ジュラ紀は海水準が非常に高くなったようです。これは全球平均海水準変動曲線として海外の論文に掲載されているものです。この海面上昇が原因となって大規模な変動を経験しながら浸食基準面の低下が起こりにくかったため、豊浦層群の最上部の地層である阿内層は顕著な削剥を免れることができました。この火山活動で約160 Ma以降,1000万年ほどの期間に全球的に気候の温暖化が起こりましたが,150 Ma以降、海面上昇から海面低下に転じ清末層基底の大量の厚い砂岩・礫岩層が豊浦盆地に残った低地を埋めるように北東から南西へ向かって流れる網状河川として堆積を開始します。河川の幅は6㎞はあったと思われます。今回のNilssoniaもこのような環境で堆積したと考えられます。火成活動は白亜紀に入ると落ち着き清末層には火山物質はほとんど見られなくなりますので,温暖化が終息したということです。阿内層と清末層との間では,気候も植物群の種構成も変化したことも納得できるでしょう。
阿内層と清末層の植物化石は酷似していると,再検討されるべき古い植物化石のリストに基づいてよくいわれてきました。地質の分布や境界も研究者によって異なり,これによって化石産地の地層の所属も変わり,ジュラ紀~前期白亜紀の植物化石の組成はどの年代のものでも気候に合わせて変化するのみで近い気候条件下で生育した植物であればタクサの比率こそ変わっても(同定の精度に左右されて)植物の形態あるいは種構成が似通っているということも可能なわけです。清末層や吉母層の125 Maの砕屑性ジルコンU-Pbコンコーディア年代などもそうですが,十分な検討を行わずにこれらのデータの単なる引用者であると思わぬ見落としをしてしまいがちです。報告書のとりまとめは奥深いところまで把握していなければならないということです。岩相や植物化石の問題は地質調査や化石同定の精度によって見方が全く変わってくるという認識で捉えなければならない問題といえるでしょう。
専門家も完璧な方はいませんので他人の意見に短絡的に流されてはいけません。専門家といえども長期間の主体的な調査・研究をしていない地域となると把握しきれない部分が多く拙速であったり,ご都合主義(海外と比べると問題視されるほどです)のこともあると思います。そのようなことですので、とにかくご自身が専門技術を十分習得した上でよく観察して調べ、広範な数多くの文献を熟読しよく検討することで結論を出すことが大事です。真実に限りなく近いほどリンクする情報が多いということを付け加えておきたいと思います。
清末層産の類似の植物化石
清末層から,ニルソニア属ではNilssonia cf.densinervis (Fontaine)を採取したことがありますが,保存状態の悪いものが多いです。他にはNilssonia orientalis Heerが報告されていますが,これはというものは未だ見たことがありません。ニルソニア属に似たものにTaeniopteris属や,キカデオイデア類のNilssoniopteris属がありますが,本邦では大変珍しいNilssoniopteris属を清末層から自ら発見しています。今回紹介させていただいた標本は,県立山口博物館に寄贈させていただいた標本の1つになります。N. ex gr. schaumburgensisは,葉身が様々な程度に裂片に分かれるものがあり,色々なタイプの葉身が世界中から報告されています。今回の標本は,敢えていうならvar. parvulaタイプになります。
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